2010年 06月 15日
301号室・・・そこで出会う人たち |
301号室は私の「住む」場所となっていきました。
私の左横の空いていたベッドには、
糖尿病の持病をもつKさんが入院していました。
彼女のご主人はお花屋さんで、毎日お花を抱えて面会に来ていたので、
彼女がいる間、病室はカサブランカの匂いで溢れていたことが思い出されます。
彼女が無事に出産して退院した後、
羊水の状態が悪く、赤ちゃんが成長していないというEさんが仲間入りしていました。
左斜め前のベッドにいたUさんは、
経過が良く、36週過ぎたので、一旦退院し、
前置胎盤のKさんが手術の準備のために入院していました。
こんなふうに、入れ替わり立ち替わり、
いろんな状態の妊婦さんが私の「住む」病室にやってきました。
お腹の中で赤ちゃんの腸閉塞が分り、
出産後すぐに赤ちゃんが手術を受けたKさんとは、
彼女の入院期間はごく短かったにもかかわらず、いまだに年賀状のやり取りをしています。
(彼女は、この時の長男くんを頭に、3人のお子さんに恵まれています)
一方で、644グラムという超低体重児を出産し、その後顔を見せなくなった人や、
赤ちゃんの肺に水がたまり、お腹の上から注射針でその水を抜くと言う手術を受け、
激痛に耐えたのも実らず、死産の上、ご自身も生死をさまよった人、
前置胎盤の上、子宮口が開いてしまった人・・・・。
中でも、神様を恨んだ期間がありました。
私の隣のベッドに、双子をお腹に抱え、筋腫があるため、手術の準備でやってきたKさんがいた時です。
彼女はなんと、一回目の妊娠も双子でした。
当時3歳か4歳の一卵性双子の男の子は、病室にお母さんの顔を見にやってきていました。
二回目の妊娠では二卵性の双子。
男の子と女の子だと、嬉しそうに話してくれます。
彼女に何の罪もないことは分かっているのですが、
その大きな大きなお腹と、
幼い双子の兄弟を見るたびに、
胸の奥がチクチクと針で刺されるようでした。
入れ替わり立ち替わり入院する妊婦さん達に、
自分の状況を話し、相手の話も聞き、励まし合い、寄り添い合い、
心の回復をしていた私ですが、
彼女にだけは、自分の病状が言えませんでした。
日中、いつも開けっぱなしにしていたピンクのカーテンも、
彼女が隣にいる間は、
次第に閉めている時間が多くなり、
私の口数もめっきり減っていきました。
大阪に転院してからの入院生活で、この時が唯一、私らしさを失ったときでした。
by aserenityprayer
| 2010-06-15 08:15
| 【命】次男の誕生にまつわるお話