2010年 06月 14日
友達に事実を伝えるとき |
お腹がカチカチに張ったり、
相変わらず息苦しくなることはあっても、
母子センターの先生やナースは、一つ一つ丁寧に話を聞いてくれ、
一度訴えた症状は、こちらから言わずとも、気にかけ、声をかけてくれました。
とにかくここのナースは、
婦長さんをはじめ、みな、明るいのです。
いつも笑顔を絶やさず、時には漫才の様な掛け合いトークで、
病室が爆笑の渦になります。
不謹慎ではないかと思うほど、
涙を流して笑うこともありました。
その一方で、
身体の辛さ、こころのしんどさにも気を配ってくれ、
どれだけ助けられたかしれません。
ドクターもそうです。
何か一つ、笑わせようとの企みさえ感じます。
それがすべっては、からかい、時にそこが病室であることを忘れます。
母子センターに転院しての1週間。
東京での悪夢にうなされた日々が嘘のように過ぎていきました。
そんな時、
友達が面会に来てくれました。
あれ以来、初めて会う友達です。
携帯電話はあっても、携帯メールやPCもまだあまり普及していなく、
東京、大阪の友人たちに私の状況を知らせるの手段は手紙しかありませんでした。
年賀状に、「今年は我が家に双子が仲間入りします」と書いて出したところです。
ベビースイミングや児童館、公園でいつも一緒に遊んでいた東京のママ友達にも
一言も何も言わず、消えてしまったので、それも気になっていました。
手紙を出す人のリストを作り、
優先順位をつけ、
一人ずつ、手紙を書きました。
東京では手紙など書くだけの心の準備ができていなかったのですが、
ここ、大阪に来て、少しずつ、書くことができ始めていました。
けれど、筆が進んでいくらでも書ける時もあれば、
全く書く気が起らず、リストを見てはため息をつき、
後回しにしてしまう友人もいて、
この手紙で知らせる作業には一カ月近くかかってしまいました。
転院して1週間。
真っ先に知らせた友人の一人が、
手紙を読んで、いち早く面会に来てくれました。
どんな顔をして会えばいいのか、
気を使わせはしないか、
会う前は少し怖い気持ちもありました。
けれど、彼女を顔を見たとたん、怖さなど吹っ飛び、懐かしさで心が満たされていくのを強く感じました。
その後、彼女は毎週のように週末の貴重な休みを利用して、病室に来てくれました。
「なんか、食べたいものあったらなんでも持ってくるよ~」
と言った彼女は、
私のリクエストにこたえて、
ピザや骨付きカルビなど、
病院では絶対に食べられないようなものを、
こっそり持ってきては、楽しいおしゃべりのひと時を私にくれたのでした。
私の手紙を読んで、お花が病室に届きだしたのもこの頃でした。
by aserenityprayer
| 2010-06-14 07:45
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