2010年 06月 07日
右往左往するこころ、そして出発 |
あれだけ規則正しく寝起きし、
きちんと食事も摂り、
本を読んだり映画を観たり、
毎日顔を見せに来てくれる長男とひと時の母子の触れ合いを楽しんだり、
とにかく一日一日を淡々と、そしてきちんとこなしていた最初の1週間。
張り詰めていた心を
奥深くに閉じ込めていると、
それが表面には表れません。
本人さえも気付かないその奥深くの心は、
何かのきっかけで突然暴れだすのです。
私にとって、それが、
喜びと安心のもとであるはずの大阪母子センターへの転院の許可でした。
息をするのが苦しく、
ほとんど横になって一日を過ごし、
夜は眠れないので、昼間うとうとすることで凌いでいました。
あれほどこだわった食事も、ほとんどのどを通らず、
日記を見ると、胃の痛みも訴えています。
それでも、転院をする前の日の日記にはこう書かれていました。
「午前中、ほとんど寝たきり。
超音波をとっているとき、何故かムクムクと”負けてたまるか”という気持ちが湧きあがってきた。
血圧、上が83に、というのも手伝って、
こんなことをしていてはいけない。
奇跡が起こるのを待つのではなく、奇跡を起こしてやる、という気持ちになる。」
実は、日本でも特別多くの事例をもつ母子センターでも、
私の当時と同じ様な状況で、片方の子が予定日近くまでお腹の中で成長し、
なんの障害もなく元気に生まれてきたのは1例もないということを知らされていました。
そのことが影響して、出産の悪夢にうなされ、夜が怖くて眠れない日が続いたのですが、
あの時、
「奇跡が起こるのを待つのではなく、奇跡を起こしてやる」という心境になれたのは、
自分でも何故だかわかりません。
日記には「超音波をとっているとき」と書かれてあったので、
もしかしたらお腹の子が、
私にエネルギーを送ったのかもしれません。
とにかく、萎みかけていた生命のエネルギーがここでまた満ち満ちてきたのは、
きっと目に見えない何かが私に働きかけてくれたのでしょう。
転院する日、
荷物をまとめて主治医の先生に挨拶をしました。
先生は
「奇跡を信じていますよ。頑張ってください。赤ちゃんが元気に生まれたら、見せに来て下さいね。」
と言って笑顔で送り出してくださいました。
「はい。お世話になりました。
必ず、元気な赤ちゃんを産んで、先生に見せに来ますね。」
その時の私は、
長身の先生を見上げるように少し顎をあげ、胸を張り、
張りのある声で自信を持ってこたえられるようになっていました。
いざ、飛行機とワンボックスのタクシーを利用しての大阪への移動です!
by aserenityprayer
| 2010-06-07 07:36
| 【命】次男の誕生にまつわるお話