2010年 06月 06日
突然やってきたパニック障害 |
それは突然やってきました。
ポータブルDVDプレーヤーなどなかった当時、
テレビとビデオ再生機が一緒になったテレビデオと言うものを夫が借りてきてくれました。
私がリクエストした何本かの映画のビデオも届けられていました。
その日も朝食の後、ベッドをリクライニングの形にして少し起き上がって映画を見ていました。
タランティーノやロドリゲスが撮ったオムニバス映画「フォールームス」を観ているとき・・・
と、私のメモ書きから少し成長した日記に書いてあります。
急に胸が苦しくなり、
息が吸えなくなったのです。
吸っても吸っても息が入ってこない感じでしょうか・・・。
学生の頃、過呼吸になったことがあるので、
それとは全く違うことはわかっていました。
恐ろしくなって、
横を向いて身体を丸くしてじっとしていると、
次第に治まってはきましたが、
息が十分に吸えていない感覚は続きます。
ナースコールをして、
状況を訴えました。
主治医の先生がいらして、聴診器で心臓や肺を確認しますが、
何も異常は見当たらないとのこと、
「それでも息ができない」と訴えると、
「じゃあ、心電図をとりましょう」と、心電図検査が始まりました。
今から思うと、
当時は大学病院のドクターでさえその存在を知らなかった
「パニック障害」だったのでしょう。
心因性のものなので、
いくら心電図をとっても、何も出てくるわけはありませんでした。
ここにいるのはもう限界だと、
私は大阪の母子センターに転院することを強く望みました。
この転院に向けては、
家族が一丸となって力を尽くしてくれました。
なにせ、日本で初めての手術をすると、
チームまでできていたのです。
大学病院側は転院を渋って当然でしょう。
母子センターの産科部長の先生に働きかけてくれたのは、
長男を取りあげてくださった助産院の先生でした。
産科では名前を知らないドクターはいないという部長先生自ら、
「実家のある大阪に帰るのが一番、
今後は母子センターで引き受ける」と、
直接、大学病院の主治医の先生に連絡をして下さり、
大学病院側も首を縦に振ったのです。
「大阪に帰れる!」
「母子センターで引き受けてもらえる!」
その喜びと安心は、
フィクションである小説なら、
私からこのパニック障害をきれいに取り去ってくれましたとなるところでしょうが、
実際はそのようにいうまくはいきません。
そこが、人間の心理の不思議です。
この原因があるからこの結果と、簡単に結びつけることはできないのだと、
当時を振り返って思うのです。
私の転院が決まった日から、実際に転院するまでの1週間、
毎日パニック障害に襲われ、
夜は悪夢でうなされ1時間おきに汗をぐっしょりかいては目が覚めるというのを
朝まで繰り返していました。
by aserenityprayer
| 2010-06-06 08:17
| 【命】次男の誕生にまつわるお話