2010年 06月 03日
入院、張り詰めたこころの行き場所は・・・ |
すぐに都内の大学病院に入院することになりました。
やっと見つけたと思っていた心の通うドクターの紹介です。
両親も大阪から血相変えて飛んで来てくれました。
持ちえる自分の最大限のエネルギーを充満させて「闘う」体制に入っていた私は、
これでもかと言うほど、気持ちが張り詰めていました。
大学病院での主治医のドクターと対面し、
まずは検査に入ります。
一人が亡くなったことで、
その子の血栓が母体やもう一人の子の血管に入り込み、
脳梗塞などの血栓症を発症する危険があるため、
細密な検査が必要でした。
検査の結果は、血栓が母体にももう一人の子にも飛んだ形跡がないとのこと。
とりあえずは皆で胸を撫で下ろしました。
けれど、私のお腹を力強く蹴って、
その生命力の強さをアピールしていた子については、
今後、どのタイミングでお腹から出すことになるのか、そこが重要な見極めどころだという説明を受けました。
この段階で体重はまだ700グラム程度でした。
当時、24週、700グラムの超極小未熟児はまだ生存の可能性がありませんでした。
つまり、この時点で残った子が元気に生まれてくる可能性はほぼゼロ。
生まれたとしても、多くの障害との戦いが待っていることは否めない状態です。
とにかく、100グラム単位、一週単位で生存率が高くなるので、
一日でも長くお腹の中で、亡くなった子の影響を受けずに成長してもらうのを待つしかない。
猛烈に闘う姿勢で入院した私は、
病院で出される驚くほど見た目も味も悪い食事を、
できるだけ残さず食べることに集中することにしました。
おかしなことに、自分が100グラムでも多く食べることで、
お腹の赤ちゃんが成長すると、必死になって食事と向き合ったのです。
他に、私にできることが思いつかなかったのです。
ずっとつけていた日記も入院の際の荷物に入れていましたが、
しばらくは自分の感情を書くことができず、ただ1日の記録をつけていました。
AM4:20 目が覚める
AM6:00 採血
AM7:30 心音
AM8:00 朝食 食パン2枚、キャベツ、コンビーフ まずい
AM9:30-10:30 心拍監視装置
PM12:00 昼食 冷え切った巨大ギョーザ三つ ごはん 食べる
PM2:00 心音
PM4:30 H(長男)が来る
PM5:00 心音
PM6:00 Hが泣きながら帰る
夕食 どんぶりごはん 大根の味噌汁 魚味噌づけ 野菜
PM8:00 心音
PM10:00 消灯
こんなメモ書きの様な日記が何日か続きました。
自分ではこの時、極めて冷静に今の自分の状況に向き合っていると思っていたのですが、
今から考えると、食べることに集中していたこの時の私はかなり冷静さを失っていたように思います。
無理やり冷静になろうとつとめることが、
結局、そのあとの私を追い詰めることになるとは知らずに、
私はただ、「頑張り」ました。
by aserenityprayer
| 2010-06-03 09:13
| 【命】次男の誕生にまつわるお話