2010年 05月 08日
心に受けた大きな傷 |
都立の総合病院での受診を拒否され、
私の中で焦る気持ちが出てきました。
(早く、定期健診を受ける病院を探さなくては・・・・・)
長男の時は、大阪の助産院でとても満足のいくお産をしました。
もちろん、今回も里帰りをして、その助産院で出産します。
お産をする場所は決まっているので、なにが私をそんなに焦らせたのか、いまだにあの時の自分の気持ちはわかりません。
とにかく今度は、総合病院よりも個人病院の方がいいのではと思い、
電話帳で近所の産婦人科を調べることにしました。
そのころはまだインターネットが普及していなかったので、調べる手段は電話帳だったのです。
あいうえお順ではじめにあった、一番近所の病院。
住所を紙に写しとり、長男を友人に預け向かった先は、
住宅街の中にある、古くて大きな民家でした。
お庭もあって、玄関はアールデコを思わせる装飾が施されていて、温かみさえ感じた私は、
大きく息をつき、安心した気持ちでそのドアを開けました。
受付で、妊娠していること、里帰り出産を希望していることを告げると、
そこはもともとお産は扱っておらず、妊婦検診と婦人科のみだという返事が返ってきました。
それなら問題ないと、ホッとして待合室のソファーに身を沈めました。
大正時代にでも建てられたような古いお家は、
調度品も素晴らしく、まるで神戸や横浜の洋館にいるようです。
アンティークな応接室にいるような待合室の雰囲気にますます満足してた私ですが、
診察室に入ったとたん、なにやら嫌な予感がしてきました。
大きなアンティークの窓から柔らかい日差しが差し込む応接室風の待合室とは打って変わって、
ドクターの顔もはっきり見えないような暗い診察室。
雰囲気からして、ドクターは40歳前後のように思えました。
さっき受付をしたナースが、無表情で私に内診台に上がるよう促します。
長男を出産した助産院には、もちろん内診台などありません。
でも、そこと提携していた総合病院の産婦人科も、断られた都立の病院も、
私が知っている診察室はどこも明るく、
内診台もピンクで、柔らかいクッションが良く効いているものでした。
ところがこの個人病院の診察台からは、ひとつも温かみを感じず、
むしろ、冷たく暗い金属のようでした。
なにかしら、今からおどろおどろしいことでも始まりそうな緊張感を与えてそこに存在していたのです。
しかも、普通、腰のところに下ろされる、ドクターとの仕切りカーテンさえありません。
ヘッドライトをつけたドクターの顔はやはりまぶしくて、私からは見えません。
でも、きらりと光るドクターの目や、
ヘッドライトの光をわずかに浴びてぼんやりと映し出される能面のようなナースの顔は、
私を一層、怯えさせました。
内診も、指ではなく、冷たい器具を使います。
ますます緊張で堅くなる私のからだですが、ドクターは容赦がありません。
思わず、「痛いんですけど・・・・」と言うと、
「もう少しだから我慢して」というドクター。
私は、中からのエコーで赤ちゃんを確認しているのだと思い、
ただひたすら耐えるのみでした。
すると、ドクターが、
「本当に経産婦?」と尋ねます。
「え?あ、はい。」と、私が答えると、そばにいた能面のナースが視線を冷たい器具のある場所に移します。
逆に、視線を別のところに移したドクターは、どうやら問診票を見ていたらしく、
「助産院で産んだんだね。だから経産婦でもこんなにキレイなんだ。」と言ったのです。
言葉を失い、体に虫唾が走るとはこのようなことを言うのだという感覚に襲われました。
それでも体の自由を奪われた状態の私は、
恐怖と嫌悪感で叫びだしたくなるのを必死で抑え、そこから解放されるのを待つしかありませんでした。
やっと解放された私にドクターが言ったことは、
この病院にはエコーの設備がないこと、
妊婦検診はするが、エコー検査のために一度総合病院で受診するための紹介状を書くことでした。
(え?あの冷たい器械はエコー検査じゃなかったの?)
そして、ドクターが紹介状を書いたのは、
先日私が一日かけて受診し、断られた都立病院でした。
体に少しの痛みを残し、
心には大きな傷を残し、
トボトボと重い足取りで家に帰ったのは、
まだまだ暑さの残る9月中旬の頃でした。
by aserenityprayer
| 2010-05-08 08:56
| 【命】次男の誕生にまつわるお話